バレエから見たウクライナの変化

 「10年ほどでこんなに変わるんだ!」予想していたとはいうものの、やはり目の当たりにすると驚きは大きい。わたしがウクライナの首都キエフをおとずれたのは今回が2度目だ。1度目は12年前、旧ソ連邦の一部だったウクライナが独立した直後である。そのときは、ほかの東欧の町やロシアと同様、町全体がなんとなくホコリっぽく、商店にはモノがほとんどなく、あっても長い行列を覚悟しないと手に入れることができない状態だった。おそらくソ連時代以上にモノ不足のときだったのだろう。
 しかし今回はまったくちがう。メイン・ストリートであるクリシャーチク通りには、ヨーロッパの有名ブランド店やデパートが並び、町を行く人はみんなこぎれいな格好をしている。あたらしいスーパーマーケットを覗くと、日本以上の品揃えだ。農業国なので生鮮食料品も揃っている。ヨーロッパ各国のモノも、近いのではいってきやすいのだろう。中心街の建物は、むかしからの外観を大切に残したうえで修復され、美しい町並みをかたちづくっている。お金さえあればなんでも手にはいるようになったけれども、同時に貧富の差は恐ろしくひろがっているようだ。

企業人を目指す社会風潮のなかで
 今回のおもな目的は、世界でもトップクラスのダンサーを数おおく輩出しているキエフ・バレエ学校の取材だった。
 キエフ・バレエ学校はソ連時代、モスクワのボリショイ、サンクトペテルブルク(旧レニングラード)のワガノワと並んで、ソ連の3大国立バレエ学校とされた世界的にみてもトップクラスのバレエ学校である。10歳から11歳で、数10倍という難関を経て入学したエリートたちは、毎年の試験でさらに振り落とされる。そして、8年間の課程を終えた者のなかから数人の優秀者だけが、キエフ・バレエ団に入団することができる。
 この10年ほどの社会変遷のなかで、バレエの世界にも大きな変化が起きている。キエフ・バレエ学校の先生方は「生徒のレベルが落ちた」と嘆く。ソ連時代のバレエ・ダンサーは花形職業。いまももちろんそうではあるのだが、「企業で成功するのがいちばんお金持ちになる方法」という意識が社会全体にひろがり、バレエ学校の人気が以前ほどではなくなってきている。
 キエフ・バレエ学校に入学できるくらいの才能をもっていても普通学校にはいり、普通学校と並行して学べるバレエ・アカデミー(私設の学校)でバレエを学ぶ子どもが増えている。一見、日本のバレエ教室に似ているが、地域の学校と連携しているので、バレエの練習時間がかなりとれるところがちがう。才能がなくてもはいれるが、才能のある生徒には奨学金が出る。高校レベルまでの普通教育をうけながら、そういったアカデミーを経て、プロのバレエ・ダンサーになり、キエフ・バレエ団の主役まで登りつめる例も出てきた。
 とはいえ、嘆く教師の横でみたキエフ・バレエ学校のレッスン風景は、やはり「選ばれた者たちの世界」であり、将来楽しみな生徒がたくさんいた。現在も世界のトップレベルの学校であることは間違いないだろう。

ミネラルウォーターとおなじ値段でバレエを観る
 いっぽう、キエフ・バレエ団にも変化があり、主役級のダンサーがヨーロッパやアメリカのバレエ団に移籍する例が多々ある。寂しいことだがキエフでの収入と欧米のバレエ団での収入には大きな格差があるため、仕方がないといえる。また、彼らが世界中のバレエ団で活躍することは、キエフのバレエ教育の素晴らしさを世界に伝えることでもあるのだし、キエフのバレエがこれからどう進むのか、興味深い。
 ウクライナでは、500ミリリットル入りペットボトルのミネラルウォーターと国産ビールひとビン、それとウクライナを代表する劇場であるシェフチェンコ・オペラ劇場でのキエフ・バレエ団公演のもっとも安い席が、すべておなじ2グリブナ(約40円*執筆当時のレート)である。
 誰でも気軽にバレエを観ることができる風潮はいまも変わらない。そんな環境で育ったバレエ愛好者たちが、きっとキエフのバレエを支えていくだろう。
季刊「民族学」110号2004年秋 千里文化財団刊より転載