旧ソ連時代から30年続くバレエを通した国際交流

企業人を目指す社会風潮のなかで
 今から30年前というと、まだ大人にとっても海外旅行が身近ではなかった時代。そんな頃から、当時社会主義体制下だったキエフに25名あまりの小中学生を連れてのバレエ親善研修旅行を繰リ返して来たバレエ教室がある。京都市左京区に本部を置く寺田バレエ・アートスクールだ。
  皆さんはクラシック・バレエというとどこの国を思い浮かべるだろう? 一般にクラシック・バレエはイタリアで原型が生まれ、フランスで現在のように形作られ、ロシアで確立した……と言われることが多い。有名なチャイコフスキーはロシア人、『白鳥の湖』や『眠りの森の美女』はロシアで誕生した。交流が続けられているキエフ・バレエ学校は、モスクワのボリショイ・バレエ学校、サンクトペテルブルク(旧レニングラード)のワガノワ・バレエ学校と並んで、ロシア三大バレエ学校のひとつ。
 スポーツにおいて旧ソ連のエリート教育は有名だが、バレエに関しても同様。10歳の頃に体型や骨格などの身体の条件を基本に、何十倍もの倍率をくぐり抜けて選ばれた“バレエに向く子ども”が国立バレエ学校に入学。18歳まで8年制の確立されたプログラムの下に教育を受ける。途中で向かないと判断されれば退学、別の道に進むことになる(時代の流れの中で、最近では人権を重んじて、そう簡単には生徒をやめさせることができないなどの変化はある)。1975年春、当時のキエフ国立バレエ学校校長のガリーナ・N・キリーロワさん(故人)、R・クリャービンさん(故人)、寺田バレエ・アート・スクール校長の寺田博保さん(故人)、夫人で現校長の高尾美智子さんによって、この両国間のバレエ交流は始まった。
 その後1987年、寺田博保さん・美智子さん夫妻の子息、寺田宜弘さんがキエフ・バレエ学校へ入学(11歳で単身留学)。卒業後キエフ・バレエ団入団、昨年、ウクライナ功労芸術家の称号を得るなど、活躍していることもあり、キエフと寺田バレエの交流は、膨らみながら発展して来ている。
 ロシアのバレエ学校として紹介したが、御存じの通り、ソ連崩壊後の1991年、ウクライナは独立し、現在キエフはロシアの一都市ではなく、ウクライナの首都。

言葉が通じなくてもすぐに仲良くなる子どもたち
 今年、3月26日−−4月7日の日程で日本の春休みを利用して行なわれた研修旅行は、17回目。小学校2年生から大学生までの生徒たちと先生、25名がウクライナに向かった。
 最近ではキエフ・バレエ学校との交流にとどまらず、キエフ・バレエ学校出身で世界的なスターダンサーのワジム・ピーサレフが芸術監督を務める南ウクライナのドネツク・オペラ劇場とも交流が深まって来た。
 関西国際空港からウィーン、キエフを経由してドネツクヘ。この時期は、ピーサレフが主催するウクライナのバレエ学校が集うフェスティバルの最中。キエフ・バレエ学校、ドネツク・バレエ学校、ハリコフ・バレエ学校の生徒と共に日本からの子どもたちも、28日には近郊のクラスノアルメイスク市、29日にはドネツク・オペラ劇場での公演に出演した。
 とても微笑ましく、印象的だったのは休憩中の子どもたち。空き時間にすぐに仲良くなる。ロシア語やウクライナ語で話す子と日本語を話す子、まったく言葉は通じないのに、不思議に身振り手振りで会話が弾む。

世界的ダンサーの宝庫キエフ・バレエ学校
 30日早朝、ドネツクを発ってキエフに。キエフに着くと子供たちはホテルで色とりどりの着物に着替えてキエフ市役所へ表敬訪問。お母さん方があらかじめ簡単に着ることができるように準備しているとは言え、子どもたちが15分程度で着物をさっと着て現われるのには驚き。キエフのテレビ取材を受けた後、キエフ国立バレエ学校へ。タチヤナ・タヤキナ校長の歓迎を受けた。
 翌31日から、いよいよキエフ・バレエ学校でのレッスンが始まった。子どもたちは、年齢に応じたクラスに別れ、現地の生徒たちと共にレッスン。小さな子どもたちほど、うちとけるのが早い。さすがに国立バレエ学校、1年生でもレッスン中はピリッとした厳しい空気が張りつめているけれど、遠くからやってきたお友だちに対する目はとてもあたたかい。キエフの生徒が、日本の生徒の手をとって、先生がロシア語で伝えた並び方の位置に連れて行ってあげる姿は本当に微笑ましい。 参加はほとんどが女の子だったので、1年生の男子クラスに入る子はいなかったが、休み時間に、好奇心いっぱいの小さな男の子が女の子のクラスをいたずらっぽく覗く……。そういえば、ドネツクのピーサレフは「バレエ学校時代、寺田バレエの子たちがやってくるのがいつもとても楽しみだった」と話していたが、バレエ学校の子どもたちにとっても、楽しみなイベントなのだろう。
 逆に夏休みにはキエフ・バレエ学校の優秀生徒を京都に招いている。この研修旅行の間に度々顔を見せてくれた、現在のキエフ・バレエを代表するスターダンサー(日本の新国立劇場でもよく主役を踊っている)デニス・マトヴィェンコ(日本の子どもたちがバレエ学校の食堂で食事をしていると、ふっと食堂に入ってくる、その夜には、キエフ・バレエの本拠地シェフチェンコ劇場で主役を踊っているのに……学校と劇場は近くはなく車が必要な距離のはず)は、「子どもの頃、京都に招かれるメンバーに選ばれたことで、バレエに対する白覚が芽生えた。バレエに対して努力しはじめるきっかけだった」と話す。キエフ・バレエ学校出身者、中でも優秀生徒に選ばれて京都に招かれた経験のあるダンサーには、現在、世界中の有名バレエ団で活躍している人がたくさんいる。バレエ好きなら誰でも知っている世界を股にかけて活躍するダンサーが初めて海外に出たのは京都の寺田バレエだったいうことが多々ある。今回の研修でお友だちになったキエフ・バレエ学校の生徒が、近い将来に世界の檜舞台に立っている可能性は大きい。

バレエ鑑賞とミネラル水とビールが同じ値段の国
 実は私がキエフを訪れたのは2度目、1度目はソ連崩壊直後。当時、町はロシアや東欧の他の町と同じく汚れており、店には物がなく、少しの物を買うのに並ばなければいけない状況。10数年ぶりに訪れてみると、同じ所だととっさには信じられない変わり様。メインストリートにはデパートや映画館のネオンが輝き、パリやロンドンと変わらないブランド品を売る店がひしめいていた。一方、貧富の差は激しいようで、物乞いの人も多い。
 物価を見ると生活必需品は安く、輸入品は高い。農業国なので野莱や果物は日本よりもずっと安い。ミネラル・ウォーター500ミリリットルのペットボトルが約2グリブナ(40円)、ビール1ビンもウクライナ産たら2グリブナ(40円)。
 とはいえ、2002年世界銀行発表のウクライナの、1人当たりのGNI(国民総所得)は770ドルとされているので一都市部と地方での収入差はかなりある様子)、一概に安いとは言えないかもしれない。
 ただ、今、日本から旅行するなら、正直言ってお勧め。キエフはヨーロッパ的な古都で、美しい町。今のところ、物価は日本円に換算すると安い。また、昔のソ連時代のようなややこしい手続きはどんどん廃止され、比較的白由な旅行が楽しめる。
 バレエに関しては、シェフチェンコ・オペラ劇場の一番安い席が2グリブナ=約40円)。これはミネラルウォーターと同じ、日本ではバレエを観るのはお金がかかるというイメージがあるが、これくらいで観ることができてレベルも高いなら、日本人もバレエ好きになるかもしれない。

時代の荒波乗り越え
 時代の荒波乗り越えキエフでレッスンを受け始めた31日の夕方には、キエフの舞踊アカデミーのコンサートに友情出演。そして最後の舞台は、4月4日、キェフ児童音楽劇場での、キエフ・バレエ学校と寺田バレエ・アート・スクールの合同コンサート。キエフの上級生を群舞に、日本の若い先生方をソリスト(=1人で踊る人、主な役)にした“ショピニアーナ”や、両方の生徒が混じり合っての“アラゴンスカヤ・ホーター”。バレエ学校の舞台を使って、キエフの生徒と共に練習を繰り返しての作品だ。  4月5日、最終日は、レッスンの後、子どもたちのお別れ会。学校のロビーに集まった子どもたちはすっかり仲良くなって、様々なジャンルの音楽に乗ってダンスで盛り上がった。バレエ学校の男の子が日本の女の子をダンスに誘う姿は、子どもなのに本当にサマになっている、さすが将来のダンサー。
 ブレゼントの交換も行なわれた。10数年前には、キエフの子どもたちはあまりブレゼントを用意して来ていなかったという。用意したくてもできない経済状態だったのだろう。現在は、双方同じように子どもらしいものを用意して交換している。
 そんな時代も、ウクライナ国内がチェルノブイリ事故で大変だった時も、離れることなく地道に続けられて来た交流。バレエの先進国としての尊敬の念と、バレエを教わることにとどまらない、大変な時に相手を思う気持ちが、この国際交流をこんなに充実したあたたかいものに発展させて来たといえるだろう。
「イクザミナ」2004年6月号 株式会社イクザミナ発行 より転載