1. 世界的なダンサーを数多く輩出して来たキエフ・バレエ学校
ウクライナの首都キエフの郊外に、世界的に優秀なバレエ・ダンサーを数多く輩出している国立キエフ・バレエ学校がある。旧ソ連時代には、モスクワのボリショイ・バレエ学校、サンクトペテルブルグのワガノワ・バレエ学校と共にロシア3大バレエ学校の一つに数えられ、世界を見渡して比較しても足先や足の甲の美しいダンサーを数多く育てていることで有名だ。
10歳から11歳で選び抜かれた“バレエに向く子ども”が入学し、プロのバレエ・ダンサーになるための8年間の教育を受ける。毎年試験があり、成績が悪いと退学させられてしまう。卒業して優秀な者は、キエフ・シェフチェンコ劇場バレエ団に、その他の者は地方のバレエ団などに就職。最近は旧ソ連時代とは違い、ヨーロッパやアメリカのバレエ団に入る者も多い。
私は今年の3月から4月、約12年ぶりにこの学校を訪れた。キエフの中心街は12年前のモノがなく荒れた状態とは一変し、豊かな都市に見える。さまざまな問題も抱えているとは聞くが、たった10年程の間の街の変化には目を見張るものがある。
対して、キエフ・バレエ学校の外見はほとんど変わっていない。校舎も昔のまま、古いけれど多くの有名なダンサーを輩出したことを感じさせるレッスン場、その窓から見える景色は緑が美しく、もちろん教育体制も歴史を守り続けている。「このピリッとしたバレエ教育の雰囲気は、変わらない」と懐かしさを覚えた。そして昔と同じように、次世代のトップダンサーの可能性を感じさせる生徒がちらほらと目に付く。
でもよく知ってみると、少しは変化がある。先生たちの間には、昔に比べて芸術よりもビジネスでの成功に憧れる風湖が高まりバレエ学校の人気が今ひとつ奮わない、そんな嘆きの声もある。逆に良い点として、生徒達の服装は小綺麗で、生活に余裕が出ていることが感じられ、またその行動に伸びやかさも感じられるように見えた。(2004年9月15日)
2. ロシア式のバレエ教育、キエフ・バレエ学校はロシア式のバレエ教育を行っている学校だ。
バレエの歴史をひもとくと、バレエの原型と言えるものが始まったのは14世紀後半、ルネサンスのイタリア。その頃は余興のようなものだったというが、その後フランスでルイ14世の時代に芸術としてのバレエが確立された。1669年にはパリ・オペラ座の元であるオペラ学校が創られ、職業としての舞踊手を育てるという考え方が始まっている。
そんなフランスのバレエが、ロシアの大地に入って来たのは、1738年。帝政ロシアの女帝アンナが熱心なバレエ支持者で、フランスから指導者を招いて帝室舞踊学校を創ったの最初だと言われる。
ところで、バレエというとまず思い浮かべるのは『白鳥の湖』ではないだろうか?
世界中で愛され、バレエの代表作とされているこの作品はロシアで生まれた。ロシアの大作曲家チャイコフスキーの曲に振り付けた『白鳥の湖』『眠りの森の美女』『くるみ割人形』は、現在最も多く上演されているバレエ作品だろう。その中で女性舞踊手が着けるクラシック・チュチュと呼ばれる横にピンと張った円盤のような衣装もこの時代に始まったもの。それ以前ににフランスで創られたバレエでは、ロマンティック・チュチュと呼ばれるフワッとした釣り鐘型のスカートが用いられている。
ロシア・バレエの発展の中で、マリンスキー劇場のプリマ・バレリーナであったアグリピーナ・ワガノワが“ワガノワ・メソッド”と呼ばれる独自の教育法を編み出した。現在、キエフ・バレエ学校を含むユーラシア地域の学校はどこもほぼこのワガノワ・メソッドの教育を行っている。ヨーロッパのバレエに比べて、男性は男性らしくダイナミック、全ての動きに首の動きが付くので、女性はより女性的。その優れた教育法の中で、32回以上の回転技や、高く複雑なジャンプといったテクニックがどんどん難易度の高いものに発展して来ている。(2004年10月15日)
3. キエフで活躍の寺田宜弘
キエフがまだソ連邦の一部だった1987年、11歳のひとりの日本人がキエフ・バレエ学校に入学した。それが寺田宜弘だ。京都で両親が開くバレエスクールは、彼が生まれる前からキエフ・バレエ学校との交流を続けていた。当然のように幼い頃からバレエに親しんだ彼。「日本の教室では女の子ばかり。男の子がたくさんいるキエフでバレエを学びたい!!」という彼の思いは、交流に携わった多くのキエフ側、日本側の人々の協力を得て、国費留学として実現した。
バレエ学校は10歳か11歳で入学し、8年間の教育を受け、18歳で卒業するという仕組み。社会状況が変化した現在では、高学年の課程に編入する形で留学する日本人も増えてきたが、それでも、わずか11歳−−日本で言えばまだ小学生で、バレエ学校の1年生に入学する人は他にいないように思う。
まして、その頃はペレストロイカの真っ最中、社会変革の混乱で、食べ物も満足に手に入らない中、彼はバレエに打ち込んだ。そのバレエ学校の8年間を過ごす間に、キエフを首都としてウクライナはソ連邦からの独立を果たした。
バレエ学校を優秀な成績で卒業した彼は、キエフ・バレエに入団、ソリストとして、主役をはじめ、多種多様な役柄を踊っている。その活躍が認められ、昨年、外国人として初めて、ウクライナ功労芸術家の称号を得た。
入団してからそろそろ10年。28歳の彼に会った。キエフで暮らした時間に密度があるからか、日本にいるよりもキエフにいる方が伸び伸びしているように見える。最近はダンサーとして踊る以外に、ウクライナのダンサーの公演を日本で開いたり、日本のダンサーの公演をウクライナで開いたり、演出や指導にも力を入れて、益々生き生きして来た。寺田宜弘はこれから、バレエを通して日本とウクライナを繋ぐ架け橋として、さらに大きな力を発揮していきそうだ。(2004年11月15日)
4. ウクライナ出身の有名ダンサー
最近、ヨーロッパやアメリカの主要なバレエ団で、ウクライナ出身のダンサーが多々活躍しているのが目に付く。もちろん、ユーラシアの他の地域のダンサーも活躍しているのだが、ウクライナ出身のダンサーは、目立つ立場----主役級のダンサーに結構多い。
それは、自国での収入と欧米での収入の差が大きいから海外に出てしまうという現実的な問題もあるだろうが、世界中どこに行っても活躍できるレベルの高いダンサーを輩出しているからということの証明でもある。
ロンドン・ロイヤル・バレエのプリンシパルであるイワン・ペトロフ、アリーナ・コジョカル、アメリカン・バレエ・シアターのプリマ、イリーナ・ドヴォロヴェンコ…。もちろん、ウクライナに拠点を置きながら、世界で活躍するダンサーもいる。例えば、ウクライナのドネツクで芸術監督も務めるワジム・ピーサレフ、その妻でありパートナーのインナ・ドロフェーエワ、キエフ・バレエ団のプリンシパル、エレーナ・フィリピエワやデニス・マトヴィエンコなど。デニスは今シーズンの日本の新国立劇場のシーズン・ゲスト・ダンサーとして、東京での主要な演目にほとんど出演しているが、日本だけでなく、キエフでも世界の他の都市でも活躍している。
上に挙げたのはキエフ・バレエ学校の出身者ばかり。どんな特長があるのだろう? あるバレエの専門家に言わせると「男性の脚が美しいのは、パリ・オペラ座バレエ学校とキエフ・バレエ学校の出身」。脚の美しさというのはバレエの中で1番と言って良いくらい大切なところ。そしてそれは、適性があるだけで出来るものではなくて、正しい訓練を積み重ねてこそ出来るもの。股関節から、美しく外側に捻るように開かれた脚を空中で交差させる“アントルシャ”という動きがあある。一流ダンサーによるその動きは、脚の甲のラインも芸術的で、彫刻のよう。キエフ出身の男性ダンサーには、その動きが際立つ人が多い。女性は、その人によって色々な魅力が…。(2004年12月15日)
5. これからのウクライナ・バレエ
このところ連日(2004年12月初旬)、日本の新聞やテレビにも“ウクライナ”の文字が目に着く。今回のことがバレエにどんな影響を与えるかは分からないが、ウクライナのバレエはここ10年強の社会の変化の中で大きな影響を受けているように見える。
ひとつは、どんどんダンサーが海外に移っていること。それは寂しいことでもあるけれど、どこでも通用するダンサーが育っているからという喜ばしいことの証明でもある。
もうひとつは、最近、キエフ市内でも他の町でも私設のバレエ学校が増えていること。普通学校の教育を受けながら、朝や放課後にバレエを学ぶ。国立のバレエ学校は、身体的条件等によって選ばれた者しか入学を許可されないが、私立の学校はそうではなく、バレエ向きでない生徒も授業料を払えば学ぶことが出来る。一見、日本のバレエ教室に似ているが、普通学校とも連携しているのでバレエに取り組みやすい環境になっているし、バレエ教授法を系統的に学んだ教師が教えている。
そして、才能のある子どもには奨学金が出る。社会情勢の変化の中で「普通の高校を出ておいた方が安心」という風潮が強くなり、国立のバレエ学校に合格するようなバレエ向きの子供でも、普通学校に行きながら私立の学校でバレエを学ぶ例が出て来た。そしてそんな生徒の中から、国際的なコンクールで結果を出すダンサーも育っている。これからバレエ・ダンサーを育てるのはキエフ・バレエ学校などの国立だけではないだろう。
とにかく、基本的にウクライナの人々には踊り心や踊りを愛する心がある。ウクライナ舞踊の『ゴパック』は、世界的なバレエのスターが集まり見せ場だけをそれぞれ披露するコンサートでもウクライナ人ダンサーが踊り、その勇壮な大技が拍手喝采を受ける。また、ウクライナの人々は、子どもの頃から劇場に親しみバレエを観賞し、大人になっても大切な娯楽のひとつとしてバレエを観る。そんなバレエ好きの人たちがこれからもバレエを大切に守り育て発展させて行くだろう。(2004年12月15日)
「日本とユーラシア」日本ユーラシア協会発行 2004年9月、10月、11月15日 より転載







